阪神淡路大震災から14年。
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震災の二日前の成人の日の記念に、写真館で記念撮影された方たちは80名ほどおられましたが、出来上がった写真を撮りに来られる方は誰一人いらっしゃいませんでした。
男性は、その写真を一軒一軒書かれた住所を訪ねて届けに行かれたそうですが、そこは瓦礫となっていて、家は一軒もなかったそうです。
そこで、避難所を訪ね歩いて、一人一人に手渡しに行くことになりました。
写真を受け取ったある女性は、写真も全部燃えてしまって、これがたった一枚の私の写真です、と涙を流して喜ばれました。
なんと、全ての方の生存が確認でき、全ての方に、記念写真は届けられました。
写真館の男性は、その後店舗の場所が立ち退きになり、違う場所でお店を再開されます。
そして、震災から10年後に、当時写真館で記念写真撮られた方たちの震災後の記念写真を
もう一度、写してみたいと考えて、その方たちを探されましたが、十数人の方たちと連絡がとれて、震災を乗り越えた彼女たちの表情がどう変わったかを目の当たりにされます。
震災後亡くなったお父さんに代わって、商売の後を継いで頑張っている女性、結婚して家庭を
持ち、子育てに一生懸命に励んでいるている女性など、皆さんそれぞれに苦難を乗り越えて
生きてこられたことが、はっきりとそれぞれの表情に刻まれていました。
中でも私の胸に残ったのが、ある三姉妹のお話でした。
三姉妹の長女の方がその年成人式を迎えられ、ご両親に振袖を作ってもらって、震災の直前にお祝いをされたばかりでした。
地震の起った朝、気がつくと家が燃えていて、迫りくる火の手の中、たったひとつ夢中で抱えて逃げたのが、ご両親に作ってもらった振袖だったそうです。
家もなくなり、何もかも燃えてしまい、振り袖だけが残りました。
その後ご家族力を合わせて、今日まで頑張ってこられたのですが、その振袖は次女の方も、三女の方も晴れの成人式の日に袖を通され、同じ振袖を着た三姉妹それぞれの記念写真が
紹介されました。
そんな極限状態で、何をもって逃げるかと考えたら、生活に必要なものなど何一つ持ち出せないと思いますが、ご両親に買ってもらった振袖はきっと長女の方にとってかけがえのないものだったのだと思います。
着物や帯には、もの作りに携わった作り手の思いも込められていますが、それを手にした方たちの、いろいろな思いもこもっています。
そんな思いを大切にして、この仕事をやって行こうと心に決めました。